「世にも奇妙な人体実験の歴史」感想

「世にも奇妙な人体実験の歴史」は、題名の通り、数々の人体実験の様を紹介している本である。

人体実験と聞くと、非道な科学者や医学者が抵抗する患者を押さえつけて無理やり実験する、というイメージが浮かぶが、そうではない。

この本の中には自分を実験の対象とする偉人達も紹介されているのだ。

中には他人を人体実験に使う人のことも紹介されているが、それゆえに自分を人体実験する凄さが分かる。

この本を読めば「人体実験は残酷なもの」という固定観念を取り除くことができるだろう。

第1章、第2章、第3章

第1章では病気の人体実験、第2章ではクロロホルムやコカインなどの人体実験、第3章では化学物質の人体実験について説明してある。

今ではどんな効果があるか判明してある物質も、昔では全く判明されていない。

それが人間に苦痛を与えるのか、それとも人間に役立つ物質なのかは検討もついていなかったのだ。

それなのに、自分の体を使って検討のつかない物質を吸ったり注射したりした偉人達には驚かざるを得ない。

彼ら、あるいは彼女らは危険なことを突き進んでやってのけたのだから、常人にとってみれば少しばかりの恐れも入っていたのではないだろうか。

しかし、このような方々の勇気ある行動で病気に苦しむ人々を救うことができたのだ。

マレルの実験方法は驚くほどカジュアルだった。彼はニトログリセリンで湿したコルクを舐め、それからいつもの診察を始めた。しかし、すぐに頭がズキズキし、心臓がバクバクし始めた。「鼓動のその激しさといったら、心臓が一つ打つ度に体全体が揺れるのではと思われるくらいだった……心臓が鼓動する度、手に持ったペンがガクンと動いた」

第4章、第5章、第6章

第4章ではゲテモノ食い、第5章では寄生虫、第6章では伝染病患者について記載されている。

といっても、もちろん普通の食べ物ではない。

自己実験者たちは得体のしれないものを進んで食べていたのだ。

今の私たちが生きているものを食べるといえば、牛や豚、鳥、魚などだ。

ほかにもあるかもしれないが、一般的に言えばこれらの食べ物はだいたいの人が食べたことのある食べ物だろう。

しかし、食に魅入られた人が食べるものは違った。

フランクという人物は馬のシタやダチョウやワニといったものを食べてその味を評価していたのだ。

フランクは「順化促進協会」の共同設立者でその幹事だという。

ここでは、さまざまな料理が運ばれ、ディナーが行われていた。

しかし、このようなものに恐怖を感じながらも、興味がそそられるというのも事実だ。

実際にゲテモノ食が流行った時期もあった。

鳥が吐き戻した粘液状の海草(鳥はこれを、巣の材料をくっつける糊として使う) で作った、鳥の巣のスープ。評定:「ゼリー状で、非常に奇妙な味」  ナマコのスープ。評定:「子牛の頭と膠の中間のような味」  シカの腱のスープ。評定:「長時間かけて煮込むと美味。ただし、膠のよう」。フランクは、「今度中国人を接待するときには、安物の膠を出そう」と言った。  アルジェリア小麦から作ったスムール(訳注:粗挽き小麦)・スープ。評定:「ふつうの食事より、病人食に向いている。『ジャックと豆の木』に出てくる大男が食べていた粥を連想させる味」

ゴルトンという人物は昆虫食に語っている。

ここからは気持ちが悪くなる話かもしれないが、興味がそそられる人はぜひこのまま話を読み進んでほしい。

無理だと思う人は「話をスキップ」を押せばスキップできる

 

 

現代の私たちは食べ物に困ることがない。

昼食がほしければ近くのチェーン店に行けるし、甘いものがほしければコンビニに売っているからだ。

しかし、昔の人たちはそうではなかった。

昔の人は圧倒的に食べ物がなかったので、なんとかして食料を確保しなければならなかったのだ。

昆虫は他の生物よりも見つけやすい。

牛や豚を普通に見つけようとなると難しいだろうが、虫は簡単に見つけられるのだ。

加えて、栄養もかなりある。

これに目をつけた古代の人たちは、進んで虫を口に入れただろう。

しかしどう考えても、進んで食べようとする人は今はいない。

さらに、毒をもっている昆虫もいる。

そのため、毒のある虫を食して悲惨な目にあった古代の人たちもいたはずだ。

得体のしれないものを体内にいれる、こう思えば彼らの行動も一種の人体実験といえるのではないだろうか。

このように考えると、甘い考えかもしれないが、少し歩けば食べ物が豊富にある現代に生まれてきてよかったと思う。

フグ

日本では、危険なフグという食べ物が高級な食べ物として出されている。

フグは当然のことながら、毒のある部分を取り除かれているが、中には毒を少し残してくれと頼む客もいるという。

本には「あのピリピリする感じがたまらない」という客の言葉があるが、毒という、少しのリスクも楽しんでいるのだろう。

私たちは100%成功するよりも80%や60%で成功したほうが達成感を感じやすい。

今話題のスマホの課金をたとえたほうがわかりやすいだろうか。

あるいは、恋において誰も好きではない人を落とすよりも競争力の高い人を落としたほうが嬉しいと感じることと同じかもしれない。

それと同じように、フグを食べる人もそのようなリスクを楽しんでいるのだろう。

自己実験者の中にもこのようなリスクを楽しんでいた人がいると思う。

第5章 寄生虫

第5章では寄生虫のことが紹介されている。

食のことではなく、寄生虫の効果、あるいは悪影響について紹介されているものだ。

私はこの寄生虫の話が一番ぞっとした。

寄生虫は宿主の養分を盗み、宿主に悪影響を与えるからだ。

もちろん、寄生虫のすべてが宿主を攻撃するわけではないし、だいたいの寄生虫はおとなしいものだろう。

今では寄生虫が体内に侵入すれば機械ですぐにわかるし、ふつうに暮らしていても有害な寄生虫とは滅多に遭遇しないだろうが昔はどうだったのだろうか。

19世紀末に、「鉱夫の貧血」という症状で死亡する病気がヨーロッパ中に流行っていたという。

これはある寄生虫が原因なのだが、この寄生虫は皮膚から侵入することができるのだ。

これだけ聞けば、気持ちの悪い話だろう。

しかしもちろんのこと原因がわかり、鉱夫に靴を履かせるだけで感染率は低下したという。

だが、これは昔の話ではない。

現在でも発展途上国には約9億人がこの寄生虫に感染しているという。

地下で作業する鉱夫らは裸足で坑内に入ることが多く、それが鉤虫の感染を招いていたのである。彼らの足元のぬかるみには、無数の鉤虫が繁殖していた。靴を履くだけで、あるいは足の裏にタールを塗るだけでも、感染率は大幅に減少した。

第7章、第8章、第9章

第7章では未知の病気、第8章では放射能や電気、第9章ではビタミンについて紹介されている。

科学というのはその名前だけでも不思議な魅力がある。

それゆえに、科学に実験を繰り返すものもいる。

X線はヴィルヘルム・レントゲンが命名したもので、トーマス・エジソンもX線機器を使って実験をしていたが、視力を失いかけたので中止したという。

どのような実験をすれば視力を失いかけたのか分からないが、それほどX線の魅力に取りつかれたのだろう。

第8章 キュリー夫妻

この二人はラジウムの実験をしていた際、「実験を続けるのは危険だ」と判断したと思うのだが、それでもこのカップルは実験をためらわなかった。

その結果、夫のピエールが実験をした際に爆発が起き、その影響で視力に異常が起き、両足に激しい痛みを感じるほどの激痛が来てしまった。

後に、彼は馬車に轢かれ死亡した。

これは、自己実験の犠牲ともいえるような行動だが、それでもマリーは研究をやめなかったのだ。

マリーは夫と共に続けた研究に安らぎを感じていたのかもしれない。

最終的に彼女はピエールの跡を継いで、再びノーベル章を受章した。

ラジウムの入ったチューブをピエールが高温になるまで熱していた際、試験管が爆発し、危険な中身が四方に飛び散った。その後、彼は視力に異状を感じ、研究に支障を来すほどの両足の激痛に悩まされるようになった。一九〇六年、彼は馬車に轢かれ、車輪が彼の頭蓋骨を砕いた。即死だった。

第10章、第11章、第12章

第10章ではヒルの実験、第11章では病気の自己実験、第12章では爆発の実験が述べられている。

ハリントンという人物は、自分の予想が正しいかどうかを確認するため重症のITP患者の血液を自分に注射した。

これは病気の原因がどこに関わっているのかを調べるためだった。

ハリストンはこの実験に自分を被験者にしたのだ。

彼はいったいどのような気持ちで自分を被験者に選んだのか。

自己実験者はときとして常人では行わないことを平然と行うのだから周囲の人もそれをサポートするのだろう。

それが病気の原因を特定するための行動なら、なおさら協力するはずだ。

病気の悪影響は出たが、彼は自分の予想が当たったことに歓喜した。

彼は自分を人体実験することで自分の予想が正しかったと証明できたのだ。

ハリントンは卒中の発作を恐れ、脳への血流を減らすために体を起こしたまま眠った。彼の血小板数は上昇しなかった。仲間の研究者たちは、彼がどんなに危険な状態にあるかを悟った。ほんのちょっと触れただけで、ハリントンの体にはあざができた。手荒に診察されたら脾臓が破裂して失血死してしまう、と彼は不安になった。

第11章 心臓の実験

フォルスマンは当時、謎だらけだった心臓を自分自身で試したいと思ったが上司に却下されたので仕方なく自分で試した。

彼は看護師に協力してもらい、腕の血管を切ったあと、そこにカテーテルを入れたのだ。

そのカテーテルの目的が心臓なのだからゾッとする話だ。

彼は自分の体を人体実験するほどまでに心臓の魅力に取りつかれたのだろう。

仕組みがわからない部分にカテーテルを入れる彼の心境は恐ろしさと同時に期待感もあったのかもしれない。

傍らのレントゲン技師が、心臓にカテーテルが入っていく様を見るのは不気味に思えただろう。

第14章、第15章、第16章

第14章では漂流実験、第15章ではサメ、第16章では深海の実験が紹介されている。

ボンバールは漂流の自己実験に食料も水も持たないで海を渡った。

それは漂流したときに生きのびるための説を証明するためだった。

しかしそれでも、ただ漂流するだけでなく、食料も水もない状態で行うのは恐ろしい実験だ。

彼は本当の漂流者になるため、このような方法を選んだのだろう。

本当の漂流者は食べ物も水もあらかじめ用意されているわけではない。

ボートが転覆しても帆が壊れても嵐が来てもボンバールは漂流をやめなかった。

四十三日間魚の絞り汁だけを飲み、十四日間は海水だけを飲んで、彼は生き延びた。魚の目にかぶりつかなかったのは失敗だった。彼よりのちに漂流した人が語ったところによれば、魚の目は「真水の塊」だとのことである。  ボンバールの苦労にもかかわらず、医療の専門家は現在でも、「漂流中に海水を飲むのは危険です」と忠告している。

第17章

第17章では空と車の自己実験が述べられている。

ピカールとパウルは気球で空に上った。

さまざまな困難が彼らを襲うが、彼らは何とか高度一万五千七百八十一メートルまで上昇して地上に帰還したのである。

気球が上っている間、気体が漏れる音が聞こえたり、水素を出すロープが動かなかったり切れたり、水銀が零れたりと災難続きだっただろう。

しかし、空にいる以上、逃げたくても簡単には逃げられない。

そう思えば、どれほど恐ろしい実験なのか分かる。

巨大な気囊がしぼんで、彼らの上に覆い被さってきた。それが掛け布団のようになって保温してくれたおかげで、彼らは星空の下で眠ることができた。翌朝、ピカールはパニック状態で飛び起きた。遠くの滝の音を、キャビンから空気が漏れる音と勘違いしたのである。

「世にも奇妙な人体実験の歴史」感想

「世にも奇妙な人体実験の歴史」は題名の通り、人体実験についてのことが書かれている。

ほぼ人体実験ばかりなので、人体実験に興味のある方には向いているだろう。

人間の体のことだけでなく、空や深海の実験について紹介されていたのも面白かったが、私としては病気関連の自己人体実験が一番記憶に残っている。

カテーテルを通したり、化学物質の自己人体実験を読んでいた時は恐ろしさと同時にドキドキした。

反対に、寄生虫の話が一段恐ろしかった。

呼んでいる最中にゾッとしたのを覚えている。

人によっては読みたくないところも出てくるだろうから、休憩をはさみながら読むのがいい。

この本の前に読んだ本が短かったからか、読むのに時間がかかった。

本を呼んでいなかった日もあるが、読み終わるのにだいたい二週間ぐらいかかった。

その分、読み応えもある。

私は最初、「人体実験はどのように行われてきたのか」という興味があってこの本を見た。

冒頭にも述べたが、人体実験は無理やり行われてきたというイメージが強い。

かくいう私も表紙を見たときは、人体実験は冷徹な者がやることと思っていた。

しかし、人体実験者の中には自分を人体実験の被験者になるものがいる。

彼らは人に役に立ちたいと思うものもいれば、名声や富を求めていた者もいるだろう。

それらの目的のために、病原菌を注射で体内に入れたり、誰もが恐ろしくなるようなことを彼らは行ってきたのだ。

彼らの行動がなければ、今でも便利はものも存在せず、病気は蔓延して人々は苦しんでいるだろう。

人体実験があったからこそ、病気で苦しむ人も少なくなったのだと思う。

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