第三章 忍びと禁欲
「第三章 忍びと禁欲」では忍びと欲について書かれてある。
特に「酒」「色」「欲」がポイントだ。
「酒」は名前の通り「お酒」で、「色」は男性から見た美しい女性のことであり、「欲」は「食欲」や「睡眠欲」「性欲」のことである。
この三つを注意しないと、自分の主君を裏切ったり、利益に唆されてしまうのだ。
五欲我を忘るる事。我を忘るとは、すべて自分の好むことは何事によらず、このことは苦しからずと己が了簡にて行うことなり。将たる人は別して慎むべきことなり。忍び・間者はその好むところを伺うものなり。
五欲は我を忘れてしまうことになる。我を忘れるとは、自分の好むことは何であっても、「これならかまわない」と自分の考えで行ってしまうことである。上に立つ人間はとりわけ慎まなければならない。忍び・間者はその好むところにつけ込むものである。
この文章では、五欲についての恐ろしさが記されている。
五欲とは、
- 食欲
- 財欲
- 色欲
- 名誉欲
- 睡眠欲
のことであり、これらの欲にとらわれると、我を失ってしまう。
であるから、上の人間はこれらを抑制し、忍びはこれらに注意すべき、という意味だ。
「忍び・間者はその好むところを伺うものなり」が「相手の欲を利用する」という意味なのか「欲を注意しなければならない」という意味なのか、どちらかの意味なのか分かりにくいが、やはり忍びでも、欲に対しては警戒心を感じていたのだろう。
ほかのページでは「忍びは主君に忠誠を誓うもの」と記載されているのだが、欲というものは忠誠を揺らがすものだ。
忠誠なくして主君に仕えていれば、その欲に負けてしまい、害をかぶる事が多い。
たとえ、その場を凌げたとしても必ず後でボロが出るもので、そうなると、人間関係、信頼、などいった大切なものがなくなってしまう。
だからこそ、主君の力量を見極め、自分が忠誠を尽くす主君を裏切らないように「欲」を抑えよ、という意味なのだろう。
この「欲」を制御することによって「忍び」の仕事がしやすくなり、さらには他の人からの信頼も得られていたのだ。
「酒、淫乱、縛打で敵を利用する」では、その欲を有効活用するといい、ということも説明している。
酒楽、隠乱、ばくえきをすすむる事、人取り入らるるの謀なり。おのれも共々此の道にあふるる習いなれば、慎みて本心をうしなうべからず。 『正忍記』
酒を楽しんだり、女遊びをしたり、博打を勧めたりすることは、人にうまく取り入るためのはかりごとである。しかし自分もこの道にふけってしまうことが多々あるので、慎むことが大事で本心を見失ってはならない。
先ほども記したとおり、「欲」というものは最大の敵であり、欲を抑えることは難しい。
それは、たとえ忍びであっても、そうだったのだろう。
しかし、それは相手も同じこと。
忍びは、どんな人でも持っている欲を、しいては相手の欲を利用することで簡単に情報を仕入れることができていたのだ。
最初から敵と酒を飲むのは難しいので、そこはやはり、何らかの方法で敵に接触し、信頼関係を結んでいたのだろう。
信頼関係があっても敵が教えてくれない、あるいは相当重要な情報だった場合、酒を飲ませて情報を喋らせていた、と予想できる。
もちろん、敵ばかり酒を飲んでいたら怪しまれるので、忍びも酒を飲んでいたと思われる。
酒に強い忍びならいざ知らず、酒に弱い忍びには、この方法は苦しませただろう。
「東洋人は酒に弱い」と言うが、このようなときのために、忍びは酒の耐性をあげていたかもしれない。
あるいは、「淫乱」「博打」で敵を油断させていたという可能性もある。
第四章 忍びの使命
「第四章 忍びの使命」では、主に、忍びの仕事について記されている。
忍び早く納むる事。すべて忍び・間者は事を速やかに行いて早く納むるものなり。もっとも上手ならでは成らざることなり。ゆえに人知らざるなり。下手は事を行うに遅々するゆえに、早くあらわるるものなり。 『当流奪口忍之巻註』
忍びは急速に仕事をこなす。おしなべて忍び・間者は事を速やかに行って早く片づけるものである。もっとも上手でなくてはできないことである。ゆえに人に知られることがない。下手な事を行うのに
遅々としているため、すぐに見つかってしまうものである。
これは「忍びの道具と服装」の引用だ。
武士は背中を向けずに敵と戦う、という心情があるが、忍びはそうではない。
忍びが敵を接触した場合、敵と戦うようなことはせず、そこから逃げ、情報を主君に伝えることが大切なのだ。
忍びが敵と戦ってしまえば、敵に捕獲される可能性だけではなく、主君の心配もさせてしまう。
敵の境地に向かわせている忍びがなかなか帰ってこなかったら、主君は「何かあった」と判断し、それが味方にも無意識に伝わってしまうのだろう。
だからこそ、忍びはプライドを持たずに、素早く主君の下に帰るのが要求されていたのだ。
もちろん、荷物が多ければそれだけスピードもなくなるので、忍びには最低限の持ち物を持たされていたらしい。
『正忍記』「忍出立の習」には所持する道具について記されており、忍び六具として、「あみ笠」「かぎ縄」「石筆」「薬り」「三尺手拭」「打竹」が挙げられています。
編笠は顔を隠すために、鍵縄は人や物を縛る・塀に登る、石筆は筆記のため、薬は腹痛のため、など、小物を使っていろいろな状況に応じて道具を使っていたのだ。
このように小物を状況に応じて使うのは、忍びの臨機応変の対応が求められていたことだろう。
忍びの服装は「黒の服」が有名だが、他にもいろいろな忍びの服があった。
服装はこれと決まったユニフォームがあるわけではありません。柿渋で染めた茶色や焦げ茶色、黒、藍染の濃紺色など、暗色で目立たない色が用いられました。
自分たち、いまの現代の人たちは「忍びは黒の服を着て活動している」と無意識のイメージがあったが、どうやらそれは違っていたようだ。
当時は、黒だけでなく、柿渋色や濃紺色など暗色の服をきて活動していたらしい。
確かに、周囲の建物の色が明るい色で月もでていた場合、黒の服を着ていたら目立ってしまう。
特に、月が良く見える夜なんかに黒一面の服を着ていたら、それは大層目立ってしまうことだろう。
そのため、月が見える日には暗色の服、真っ暗なときは黒の服と決めていたのかもしれない。
今になっては分からないが、むしろ当時は「忍びは黒の服を着る」というのは珍しいものだったという可能性もある。
しかし、どうやって忍びはプライドを捨てることができたのだろうか?
当時の武士たちが「敵から背を向けるのは恥」と考えていた場合、忍びにも、その考えが伝わっていて、なおかつその考えに同調していただろう。
にも関わらず、忍びは、敵から背を向け、素早く主君に帰っていくことができた。
すべての忍びがプライドを捨てることができた、ということは有り得ないので、忍びの中には敵と戦い捕まった、あるいは討ち死にした、と考えるほうが正しいと思う。